中2社会|江戸幕府の成立と対外政策の変化②
江戸幕府の成立と対外政策の変化②|中2社会・歴史
対象学年:中学2年生
教科:社会・歴史
教科書:東京書籍
対応ページ:p116~p123
学習のポイント
- 江戸幕府がキリスト教を禁止した理由を理解する
- 幕府が外国との貿易や交流をどのように制限したかを整理する
- 鎖国の中でも続いた外国との交流について理解する
- 島原・天草一揆と、その後の幕府の政策を結びつけて覚える
目次
キリスト教の禁止
江戸幕府は、キリスト教が広がることを警戒するようになりました。 キリスト教の信者が増えることによって、幕府の支配に影響が出ることを心配したためです。
幕府はキリスト教を禁止し、キリスト教徒を取り締まる政策を進めました。 また、キリスト教徒を見つけるために、キリストや聖母マリアなどを描いた 踏絵を使うこともありました。
覚えておきたいこと
キリスト教の禁止 → 貿易の制限 → 海外との交流を統制 という流れを意識すると整理しやすくなります。
貿易と海外との関係
江戸幕府は、外国との貿易そのものをすべてなくしたわけではありません。 幕府は、外国との貿易を自分たちの管理下に置こうとしました。
特に、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国との関係については、 キリスト教の広がりと結びつけて警戒を強めました。
一方で、中国やオランダなどとの貿易は、幕府の管理のもとで続きました。 ここは「鎖国=外国との交流が完全になくなった」と考えないことが重要です。
鎖国への道
江戸幕府は、外国との関係を段階的に制限していきました。 海外への渡航や海外からの帰国を制限し、キリスト教の広がりも厳しく取り締まりました。
1630年代には、幕府による対外政策がさらに強化され、 外国との貿易や交流は限られた場所・相手に統制されるようになりました。
「鎖国」のポイント
鎖国とは、外国との交流を完全に断つことではありません。 幕府が外国との貿易や交流を厳しく管理・制限した政策として理解しましょう。
島原・天草一揆
1637年、現在の長崎県や熊本県にあたる地域で、 島原・天草一揆が起こりました。
この一揆には、厳しい年貢の負担などに苦しんでいた人々や、 キリスト教を信仰していた人々などが参加しました。
幕府はこの一揆を鎮圧しました。 その後、幕府はキリスト教への警戒をさらに強め、 海外との関係をより厳しく統制していきました。
島原・天草一揆で覚えること
- 年:1637年
- 名称:島原・天草一揆
- 背景:厳しい年貢などへの不満、キリスト教への弾圧など
- その後:幕府によるキリスト教・海外関係の統制が強まる
鎖国下の外国との交流
鎖国の時代にも、日本と外国との交流が完全になくなったわけではありません。 幕府が認めた外国との貿易や交流は続いていました。
オランダとの貿易は、長崎の出島で行われました。 また、中国との貿易も長崎で行われました。
朝鮮とは、対馬藩を通じて交流が行われました。 また、琉球王国とは薩摩藩を通じた関係があり、 アイヌの人々とは松前藩を通じた交易が行われました。
外国との関係を整理
| 相手 | 主な関係・窓口 |
|---|---|
| 中国 | 長崎で貿易 |
| オランダ | 長崎の出島で貿易 |
| 朝鮮 | 対馬藩を通じて交流 |
| 琉球王国 | 薩摩藩を通じて関係 |
| アイヌの人々 | 松前藩を通じて交易 |
テスト対策のポイント
「鎖国中に外国との交流があった」という点は重要です。 長崎・対馬・薩摩・松前という4つの窓口をセットで整理しておきましょう。
重要語句
| 語句 | 意味・ポイント |
|---|---|
| キリスト教 | 江戸幕府が広がりを警戒し、禁止した宗教 |
| 踏絵 | キリスト教徒を見つけるために用いられたもの |
| 島原・天草一揆 | 1637年に起こった大規模な一揆 |
| 鎖国 | 幕府が外国との交流・貿易を厳しく統制した政策 |
| 出島 | 長崎に置かれた、オランダとの貿易の場 |
| オランダ | 鎖国下でも日本との貿易が認められたヨーロッパの国 |
| 対馬藩 | 朝鮮との外交・交流の窓口となった藩 |
| 薩摩藩 | 琉球王国との関係を持った藩 |
| 松前藩 | アイヌの人々との交易の窓口となった藩 |
| 長崎 | 中国・オランダとの貿易が行われた地域 |
一問一答10問
- 江戸幕府が広がりを警戒し、禁止した宗教は何ですか。
- キリスト教徒を見つけるために用いられたものを何といいますか。
- 1637年に起こった一揆を何といいますか。
- 江戸幕府が外国との交流や貿易を厳しく統制した政策を何といいますか。
- 鎖国下でオランダとの貿易が行われた場所はどこですか。
- 中国との貿易が行われた主な場所はどこですか。
- 朝鮮との交流の窓口となった藩はどこですか。
- 琉球王国との関係を持った藩はどこですか。
- アイヌの人々との交易の窓口となった藩はどこですか。
- 「鎖国=外国との交流が完全になくなった」という説明が正しくないのはなぜですか。
答え・短い解説
- キリスト教。幕府はキリスト教の広がりを警戒し、禁止しました。
- 踏絵。キリスト教徒を見つけるために用いられました。
- 島原・天草一揆。1637年に起こりました。
- 鎖国。外国との交流や貿易を幕府が厳しく統制しました。
- 長崎の出島。オランダとの貿易が行われました。
- 長崎。中国との貿易も行われました。
- 対馬藩。朝鮮との交流の窓口となりました。
- 薩摩藩。琉球王国との関係を持ちました。
- 松前藩。アイヌの人々との交易の窓口となりました。
- 幕府が認めた外国との貿易・交流は続いていたからです。鎖国は外国との交流を完全に断ったという意味ではありません。
よくある間違い
①「鎖国=外国との交流がゼロ」と覚える
これは間違いです。中国やオランダとの貿易、朝鮮との交流、 琉球王国との関係、アイヌの人々との交易などが続いていました。
② 出島=すべての外国人が住んでいた場所と考える
出島は長崎に置かれ、オランダとの貿易に関係する重要な場所でした。
③ 島原・天草一揆の原因を一つだけで覚える
厳しい年貢などへの不満に加え、キリスト教への弾圧など、 複数の背景があったことを押さえておきましょう。
④ 対馬・薩摩・松前を混同する
- 対馬藩 → 朝鮮
- 薩摩藩 → 琉球王国
- 松前藩 → アイヌの人々
この組み合わせは、表にして繰り返し確認すると覚えやすくなります。
まとめ
江戸幕府は、キリスト教の広がりを警戒し、キリスト教を禁止するとともに、 外国との貿易や交流を厳しく統制しました。
1637年には島原・天草一揆が起こり、その後、幕府は海外との関係をさらに制限していきました。
ただし、鎖国の時代にも外国との交流が完全になくなったわけではありません。 長崎・対馬・薩摩・松前などを窓口として、 中国・オランダ・朝鮮・琉球王国・アイヌの人々などとの関係が続いていました。
定期テスト前の最終チェック
「キリスト教の禁止 → 島原・天草一揆 → 鎖国」だけでなく、
「長崎=中国・オランダ」「対馬=朝鮮」「薩摩=琉球」「松前=アイヌ」
という外国との交流の窓口までセットで覚えましょう。









