中2社会|江戸幕府の成立と対外政策の変化①
東京書籍 中2社会「江戸幕府の成立と対外政策の変化①」
対象:中学2年生・社会(歴史)
教科書:東京書籍
学習範囲:p112~p115
学習のポイント
- 江戸幕府がどのように成立したのかを理解する。
- 徳川家康が幕府の政治の基礎をどのように整えたのかを確認する。
- 幕府と藩による幕藩体制について理解する。
- 大名の統制や江戸と領地の往復など、幕府が大名を支配する仕組みを覚える。
目次
1.戦国時代から江戸時代へ
16世紀後半、日本では織田信長と豊臣秀吉が全国統一を進めました。 豊臣秀吉が亡くなると、政治の実権をめぐって有力な大名の対立が起こります。
その中で力を強めたのが徳川家康です。 1600年、徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利し、 全国の大名の中で大きな力を持つようになりました。
そして1603年、徳川家康は征夷大将軍に任命され、 江戸に幕府を開きました。
1600年 → 関ヶ原の戦い
1603年 → 徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く
2.徳川家康と江戸幕府
徳川家康は、江戸幕府を開いた後も大名を統制し、 幕府の支配を安定させようとしました。
家康は1614年・1615年に大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、 全国支配を確かなものにしました。
その後、江戸幕府は大名を統制するための仕組みを整えていきます。
江戸幕府の成立の流れ
- 豊臣秀吉の死後、有力大名の対立が起こる。
- 1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利する。
- 1603年、徳川家康が征夷大将軍となる。
- 江戸に幕府を開く。
- 大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、支配を安定させる。
3.幕藩体制
江戸時代、全国の政治は、 幕府と藩によって支配されました。 この仕組みを幕藩体制といいます。
幕府は将軍を中心とする政治の組織です。 一方、大名はそれぞれの領地を支配し、 藩というまとまりをつくって政治を行いました。
| 名称 | 中心となる人物 | 役割 |
|---|---|---|
| 幕府 | 将軍 | 全国の政治を行う |
| 藩 | 大名 | 領地を支配する |
このように、幕府と藩がそれぞれの役割を担いながら、 将軍を中心とする支配体制がつくられました。
4.大名の統制
江戸幕府にとって、大名をどのように統制するかは重要な課題でした。 幕府は大名の力が強くなりすぎないように、 さまざまな方法で大名を統制しました。
武家諸法度
幕府は大名を統制するために武家諸法度を定めました。
大名の行動や城、婚姻などについて決まりを設け、 大名が勝手に勢力を広げることを防ごうとしました。
大名の種類
江戸幕府は大名を、徳川氏との関係などによって区別しました。
| 大名 | 特徴 |
|---|---|
| 親藩 | 徳川氏の親族の大名 |
| 譜代大名 | 関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名 |
| 外様大名 | 関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従った大名 |
特に、外様大名には幕府から遠い地域などを領地として与えるなど、 幕府は大名の配置にも注意を払いました。
5.参勤交代
大名を統制する仕組みとして重要なのが参勤交代です。
大名は、一定期間ごとに領地と江戸を行き来し、 江戸に滞在することを命じられました。
大名が江戸と領地を往復することで、 幕府は大名を監視しやすくなりました。 また、大名にとっては江戸と領地を往復するための費用が大きな負担となりました。
参勤交代
大名が領地と江戸を行き来し、江戸に滞在する制度。
→ 大名を統制する幕府の重要な仕組み。
参勤交代の目的
- 大名を幕府の支配下に置く。
- 大名を江戸に滞在させ、監視しやすくする。
- 大名の経済力を使わせ、幕府に対抗する力を抑える。
6.重要語句
| 語句 | 意味 |
|---|---|
| 徳川家康 | 関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた人物。 |
| 関ヶ原の戦い | 1600年に起こり、徳川家康が勝利した戦い。 |
| 征夷大将軍 | 徳川家康が1603年に任命された役職。 |
| 江戸幕府 | 1603年に徳川家康が開いた幕府。 |
| 大坂の陣 | 1614年・1615年に行われ、豊臣氏が滅亡した戦い。 |
| 幕藩体制 | 幕府と藩を中心とした江戸時代の支配体制。 |
| 武家諸法度 | 幕府が大名を統制するために定めた法令。 |
| 親藩 | 徳川氏の親族の大名。 |
| 譜代大名 | 関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名。 |
| 外様大名 | 関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従った大名。 |
| 参勤交代 | 大名が領地と江戸を定期的に行き来する制度。 |
7.一問一答10問
- 1600年に徳川家康が勝利した戦いを何という?
- 1603年に徳川家康が任命された役職は何?
- 徳川家康が1603年に開いた幕府を何という?
- 1614年・1615年に行われ、豊臣氏が滅亡した戦いを何という?
- 幕府と藩を中心とした江戸時代の支配体制を何という?
- 幕府が大名を統制するために定めた法令を何という?
- 徳川氏の親族である大名を何という?
- 関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名を何という?
- 関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従った大名を何という?
- 大名が領地と江戸を定期的に行き来する制度を何という?
8.答え・短い解説
- 関ヶ原の戦い。1600年に起こり、徳川家康が勝利しました。
- 征夷大将軍。家康は1603年に征夷大将軍となりました。
- 江戸幕府。徳川家康が江戸に開きました。
- 大坂の陣。1614年・1615年に行われ、豊臣氏が滅亡しました。
- 幕藩体制。幕府と藩を中心とする支配体制です。
- 武家諸法度。大名の行動などを統制するために定められました。
- 親藩。徳川氏の親族の大名です。
- 譜代大名。関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた大名です。
- 外様大名。関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従った大名です。
- 参勤交代。大名を幕府の支配下に置くための重要な制度でした。
9.よくある間違い
① 関ヶ原の戦いと江戸幕府成立の年を混同する
1600年=関ヶ原の戦い
1603年=江戸幕府
この2つの年は、定期テストでも確認しておきたい重要事項です。
② 徳川家康と徳川家光を混同する
江戸幕府を開いたのは徳川家康です。 参勤交代を制度として整えた徳川家光と区別しましょう。
③ 親藩・譜代・外様の順番を間違える
徳川氏との関係を整理すると覚えやすくなります。
親藩 → 徳川氏の親族
譜代 → 古くから徳川氏に従う
外様 → 関ヶ原の戦い前後に徳川氏に従う
④ 参勤交代を「大名を江戸に住ませる制度」と考える
参勤交代は、大名が領地と江戸を行き来する制度です。 「江戸に行く」だけではなく、「領地と江戸を往復する」ことがポイントです。
10.まとめ
★ 1600年 → 関ヶ原の戦い → 徳川家康が勝利
★ 1603年 → 徳川家康が征夷大将軍 → 江戸幕府を開く
★ 1614・1615年 → 大坂の陣 → 豊臣氏が滅亡
★ 幕府と藩による支配体制 → 幕藩体制
★ 大名を統制する法令 → 武家諸法度
★ 大名を統制する制度 → 参勤交代
★ 親藩・譜代大名・外様大名を区別して覚える。
※教科書の版・改訂によって、掲載順や表現が異なる場合があります。学校で使用している教科書の記述を確認しながら学習しましょう。









