中1社会|ヨーロッパ人との出会いと全国統一②
ヨーロッパ人との出会いと全国統一②
東京書籍『新編 新しい社会 歴史』p.106~p.111
対象学年:中学1年生
教科:社会・歴史
範囲:織田信長・豊臣秀吉による統一事業/兵農分離と秀吉の対外政策/桃山文化
学習のポイント
- 織田信長と豊臣秀吉が、どのように全国統一を進めたのかを整理する。
- 秀吉が行った太閤検地や刀狩、兵農分離の意味を理解する。
- 安土桃山時代に生まれた桃山文化の特色と、南蛮文化との関係を覚える。
目次
1.織田信長の統一事業
戦国時代には、多くの戦国大名が各地を支配し、全国を統一する勢力はまだ現れていませんでした。
その中で勢力を拡大したのが織田信長です。
桶狭間の戦い
1560年、織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破りました。これをきっかけに信長は勢力を大きく伸ばしていきます。
室町幕府を滅ぼす
信長は足利義昭を擁して京都へ進みましたが、のちに義昭と対立しました。
1573年、信長は足利義昭を京都から追放し、室町幕府を滅ぼしました。
楽市・楽座
信長は城下町の商業を活発にするため、楽市・楽座を進めました。
これは、商売をするうえでの特権などを制限し、自由な商業活動を促す政策です。
安土城
信長は近江に安土城を築きました。安土城は、信長の権力を示す大規模な城でした。
「信長=楽市・楽座」「室町幕府を滅ぼした=織田信長」とセットで覚えましょう。
2.豊臣秀吉の統一事業
1582年、織田信長が本能寺の変で倒れると、その後継者として勢力を伸ばしたのが豊臣秀吉です。
秀吉は各地の大名を従わせ、1590年に小田原の北条氏を滅ぼすことで全国統一を達成しました。
秀吉による全国統一
秀吉は、信長が進めていた全国統一事業を引き継ぎました。
また、朝廷から関白に任じられ、政治的な権威も利用しながら支配を進めました。
3.太閤検地と刀狩
太閤検地
秀吉は全国の土地について、面積や収穫量などを調べる検地を行いました。特に秀吉が全国的に行った検地を太閤検地といいます。
土地の面積や収穫できる米の量を基準にして、年貢を納める基準を明確にしました。
また、土地の耕作者を把握することで、誰が年貢を納めるのかを明確にしました。
刀狩
1588年、秀吉は刀狩令を出し、農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げました。
太閤検地と刀狩によって、農民と武士の区別が明確になっていきました。これを兵農分離といいます。
| 政策 | 内容 | ポイント |
|---|---|---|
| 太閤検地 | 土地の面積や収穫量、耕作者などを調査 | 年貢を納める基準を明確にした |
| 刀狩 | 農民から武器を取り上げた | 兵農分離を進めた |
4.秀吉の対外政策
秀吉は国内の統一を進めた後、海外にも勢力を広げようとしました。
1592年、秀吉は朝鮮に出兵しました。さらに1597年にも朝鮮へ兵を送りました。
しかし、朝鮮や明の抵抗を受け、秀吉の死後、日本軍は朝鮮から撤退しました。
1590年:小田原の北条氏を滅ぼし、全国統一
1592年:朝鮮へ出兵
1597年:再び朝鮮へ出兵
1598年:豊臣秀吉が死去し、日本軍が朝鮮から撤退
5.安土桃山時代の文化
織田信長と豊臣秀吉の時代には、豪華で力強い文化が発達しました。この文化を桃山文化といいます。
城郭建築
安土城や大阪城など、大規模で豪華な城が築かれました。
障壁画
城や寺院などの内部には、金箔などを使った豪華な障壁画が描かれました。
狩野永徳は、桃山文化を代表する画家の一人です。
茶の湯
千利休は、茶の湯を大成した人物として知られています。
豪華な文化だけでなく、簡素さや落ち着きを重視する茶の湯も発達しました。
南蛮文化
ヨーロッパ人との交流によって、キリスト教や鉄砲だけでなく、ヨーロッパの文化や生活用品なども日本に伝わりました。
このようなヨーロッパの影響を受けた文化を南蛮文化といいます。
6.重要語句
| 重要語句 | 意味・ポイント |
|---|---|
| 織田信長 | 戦国時代に全国統一を進めた武将 |
| 桶狭間の戦い | 1560年、信長が今川義元を破った戦い |
| 楽市・楽座 | 信長が商業を活発にするために進めた政策 |
| 安土城 | 信長が築いた城 |
| 豊臣秀吉 | 1590年に全国統一を達成した人物 |
| 太閤検地 | 土地の面積や収穫量などを調べた検地 |
| 刀狩令 | 農民から武器を取り上げた法令 |
| 兵農分離 | 武士と農民の身分・役割を分けること |
| 桃山文化 | 安土・桃山時代の豪華で力強い文化 |
| 千利休 | 茶の湯を大成した人物 |
| 狩野永徳 | 桃山文化を代表する画家 |
| 南蛮文化 | ヨーロッパの影響を受けた文化 |
| 関白 | 秀吉が朝廷から任じられた役職 |
| 朝鮮出兵 | 秀吉が1592年・1597年に朝鮮へ送った軍事行動 |
7.一問一答10問
- 1560年、織田信長が今川義元を破った戦いは何ですか。
- 織田信長が商業を活発にするために進めた政策は何ですか。
- 織田信長が近江に築いた城は何ですか。
- 1590年に小田原の北条氏を滅ぼし、全国統一を達成した人物は誰ですか。
- 秀吉が全国の土地の面積や収穫量などを調べた政策を何といいますか。
- 1588年、秀吉が農民から武器を取り上げた法令を何といいますか。
- 太閤検地や刀狩によって進められた、武士と農民を分ける政策を何といいますか。
- 安土・桃山時代に発達した、豪華で力強い文化を何といいますか。
- 茶の湯を大成した人物は誰ですか。
- ヨーロッパの影響を受けて日本に広がった文化を何といいますか。
答え・短い解説
- 桶狭間の戦い ― 1560年、信長が今川義元を破りました。
- 楽市・楽座 ― 商業を活発にするための政策です。
- 安土城 ― 信長が近江に築いた城です。
- 豊臣秀吉 ― 1590年に小田原の北条氏を滅ぼしました。
- 太閤検地 ― 土地の面積や収穫量などを調査しました。
- 刀狩令 ― 農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げました。
- 兵農分離 ― 武士と農民の身分・役割を分けていきました。
- 桃山文化 ― 城や障壁画などに豪華で力強い特色が見られます。
- 千利休 ― 茶の湯を大成した人物です。
- 南蛮文化 ― ヨーロッパとの交流によって生まれた文化です。
8.よくある間違い
① 信長と秀吉の政策を混同する
信長=楽市・楽座、秀吉=太閤検地・刀狩と整理すると覚えやすくなります。
② 太閤検地と刀狩を同じ政策だと思う
太閤検地は土地を調べる政策、刀狩は農民から武器を取り上げる政策です。
③ 桃山文化と南蛮文化を混同する
桃山文化は安土・桃山時代の文化全体を指し、南蛮文化はその中でもヨーロッパの影響を受けた文化です。
④ 朝鮮出兵の年代を忘れる
秀吉の朝鮮出兵は1592年と1597年です。秀吉が亡くなった1598年に日本軍は朝鮮から撤退しました。
9.まとめ
織田信長は、桶狭間の戦いなどを経て勢力を広げ、室町幕府を滅ぼし、楽市・楽座などを進めました。
豊臣秀吉は信長の後を継いで勢力を拡大し、1590年に全国統一を達成しました。その後、太閤検地や刀狩を行い、兵農分離を進めました。
また、秀吉は朝鮮へ兵を送りましたが、秀吉の死後、日本軍は撤退しました。
この時代には、豪華で力強い桃山文化が発達し、千利休の茶の湯や狩野永徳の絵画などが見られました。また、ヨーロッパの影響を受けた南蛮文化も広がりました。
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