中1社会|武士の政権の成立②
中1社会「武士の政権の成立②」|鎌倉幕府の成立と執権政治
対象学年:中学1年生
教科:社会・歴史
教科書:東京書籍「新編 新しい社会 歴史」
学習範囲:p.72〜75
学習のポイント
源頼朝が鎌倉を拠点に武士をまとめると、武士を中心とする政治の仕組みが整えられていきました。
このページでは、鎌倉幕府がどのように成立したのか、そして北条氏がどのように政治の実権を握ったのかを理解することが大切です。
- 鎌倉幕府と御家人の主従関係を理解する。
- 源頼朝の死後、北条氏が政治の実権を握った流れを理解する。
- 承久の乱によって幕府の支配がどのように広がったかを確認する。
目次
1.鎌倉幕府の成立
源平の争いに勝利した源頼朝は、鎌倉を拠点として東日本の武士をまとめていきました。
頼朝は、武士たちとの主従関係をもとに政治を行い、武士を支配する仕組みを整えていきます。
頼朝は1185年、朝廷から全国に守護・地頭を置くことを認められました。
守護は主に国ごとに置かれ、軍事・警察などを担当しました。
地頭は荘園や公領に置かれ、土地の管理や年貢の取り立てなどを行いました。
源頼朝が武士をまとめる
↓
守護・地頭を設置
↓
武士を中心とする政治の仕組みが広がる
さらに1192年、源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任命されました。
これにより、鎌倉を中心とする武士の政権が成立したことを確認しておきましょう。
2.将軍と御家人の関係
鎌倉幕府の政治を理解するうえで重要なのが、将軍と御家人の主従関係です。
将軍と御家人は、土地を中心とした結び付きによって関係を保っていました。
御恩
将軍が御家人の土地を保障したり、功績のあった御家人に土地を与えたりすることを御恩といいます。
奉公
御家人が将軍のために戦ったり、京都や鎌倉などの警備を行ったりすることを奉公といいます。
将軍 → 御家人
土地の保障・土地を与える
奉公
御家人 → 将軍
戦い・警備など
この関係を「御恩と奉公」といい、鎌倉幕府を支える基本的な仕組みとなりました。
3.執権政治
源頼朝が亡くなった後、将軍を支える有力な御家人たちの間で権力争いが起こりました。
その中で力を強めたのが、頼朝の妻・北条政子の一族である北条氏です。
北条氏は、将軍を補佐する執権という役職につき、しだいに政治の実権を握るようになりました。
このような北条氏を中心とした政治を執権政治といいます。
北条氏の政治
北条氏は御家人をまとめながら、鎌倉幕府の政治を動かしていきました。
特に北条政子や北条義時は、鎌倉幕府の政治を理解するうえで重要な人物です。
- 北条政子……源頼朝の妻。頼朝の死後も幕府を支えた。
- 北条義時……執権として幕府の政治を主導した。
4.承久の乱
鎌倉幕府の力が強くなると、朝廷との間にも対立が生まれました。
朝廷では、後鳥羽上皇が幕府を倒して政治の実権を取り戻そうとしました。
1221年、後鳥羽上皇は兵を挙げ、鎌倉幕府と戦いました。
これを承久の乱といいます。
幕府軍の勝利
北条義時を中心とする鎌倉幕府軍は、朝廷側の軍を破りました。
その結果、鎌倉幕府の朝廷に対する影響力はさらに強まりました。
後鳥羽上皇が幕府を倒そうとする
↓
1221年・承久の乱
↓
鎌倉幕府軍が勝利
↓
幕府の支配が西日本にも広がる
5.承久の乱後の鎌倉幕府
承久の乱で勝利した鎌倉幕府は、朝廷側についた武士の領地を取り上げ、その土地を御家人に与えました。
また、京都には六波羅探題を置き、朝廷の監視や西日本の御家人の統制などを行いました。
これによって、鎌倉幕府の支配は東日本だけでなく、西日本にも広がっていきました。
なぜ鎌倉幕府の力が強くなったのか
承久の乱では、多くの御家人が鎌倉幕府側について戦いました。
これは、御恩と奉公による将軍と御家人の結び付きが、幕府を支える大きな力になっていたこととも関係しています。
そのため、承久の乱は鎌倉幕府の全国的な支配が強まる大きなきっかけとなりました。
6.重要語句
| 重要語句 | 意味・ポイント |
|---|---|
| 鎌倉幕府 | 源頼朝が鎌倉を拠点に成立させた武士の政権。 |
| 征夷大将軍 | 1192年、源頼朝が朝廷から任命された役職。 |
| 守護 | 国ごとに置かれ、軍事・警察などを担当した。 |
| 地頭 | 荘園や公領に置かれ、土地の管理や年貢の取り立てなどを行った。 |
| 御家人 | 将軍と主従関係を結んだ武士。 |
| 御恩 | 将軍が御家人の土地を保障したり、土地を与えたりすること。 |
| 奉公 | 御家人が将軍のために戦いや警備などを行うこと。 |
| 執権 | 将軍を補佐する役職。北条氏が代々この役職についた。 |
| 北条政子 | 源頼朝の妻。頼朝の死後も幕府を支えた。 |
| 北条義時 | 執権として幕府の政治を主導した人物。 |
| 承久の乱 | 1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして起こした戦い。 |
| 後鳥羽上皇 | 承久の乱を起こし、幕府を倒そうとした上皇。 |
| 六波羅探題 | 承久の乱後、京都に置かれ、朝廷の監視などを行った機関。 |
7.一問一答10問
- 源頼朝が鎌倉を拠点として成立させた武士の政権を何といいますか。
- 源頼朝が朝廷から任命された役職は何ですか。
- 国ごとに置かれ、軍事や警察などを担当した役職を何といいますか。
- 荘園や公領に置かれ、土地の管理や年貢の取り立てなどを行った役職を何といいますか。
- 将軍と主従関係を結んだ武士を何といいますか。
- 将軍が御家人の土地を保障したり、土地を与えたりすることを何といいますか。
- 御家人が将軍のために戦いや警備などを行うことを何といいますか。
- 将軍を補佐する役職で、北条氏が政治の実権を握るきっかけとなった役職は何ですか。
- 1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして起こした戦いを何といいますか。
- 承久の乱後、京都に置かれた鎌倉幕府の機関を何といいますか。
7-1.答え・短い解説
- 鎌倉幕府。源頼朝が鎌倉を拠点に武士をまとめて成立させました。
- 征夷大将軍。源頼朝は1192年に朝廷から任命されました。
- 守護。国ごとに置かれ、軍事・警察などを担当しました。
- 地頭。荘園や公領に置かれ、土地の管理などを行いました。
- 御家人。将軍と主従関係を結んだ武士です。
- 御恩。将軍から御家人への土地の保障などです。
- 奉公。御家人が将軍のために行う軍事や警備などです。
- 執権。北条氏は執権として幕府の政治を動かしました。
- 承久の乱。後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして起こしました。
- 六波羅探題。承久の乱後、京都に置かれ、朝廷の監視などを行いました。
8.よくある間違い
① 守護と地頭を逆にする
守護=国ごと、地頭=荘園・公領と整理しましょう。
「守護は軍事・警察」「地頭は土地の管理や年貢」と合わせて覚えると整理しやすくなります。
② 御恩と奉公を逆にする
御恩=将軍から御家人へ、奉公=御家人から将軍へです。
③ 源頼朝と北条義時を混同する
源頼朝=鎌倉幕府を成立させた人物。
北条義時=執権として政治の実権を握った人物。
人物と役割をセットで覚えましょう。
④ 承久の乱の結果を間違える
承久の乱では鎌倉幕府側が勝利しました。
その結果、幕府の朝廷に対する影響力が強まり、支配が西日本にも広がりました。
⑤ 六波羅探題を「幕府そのもの」と考える
六波羅探題は鎌倉幕府そのものではありません。
承久の乱後に京都に置かれ、朝廷の監視や西日本の御家人の統制などを行った幕府の機関です。
9.まとめ
「武士の政権の成立②」では、鎌倉幕府がどのように武士をまとめ、支配を広げていったのかを理解することが大切です。
源頼朝が武士をまとめる
↓
守護・地頭を設置
↓
鎌倉幕府が成立
↓
将軍と御家人の「御恩と奉公」
↓
北条氏が執権として政治の実権を握る
↓
1221年・承久の乱
↓
鎌倉幕府が勝利
↓
六波羅探題を京都に設置
↓
幕府の支配が西日本にも広がる
定期テストでは、「人物」「役職」「出来事」「結果」をバラバラに覚えるのではなく、流れとして覚えることが重要です。
特に、御恩と奉公・守護と地頭・執権・承久の乱・六波羅探題は、それぞれの意味と関係を説明できるようにしておきましょう。
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鎌倉時代の歴史は、人物名や出来事だけでなく、「なぜその政治が成立したのか」「その結果どうなったのか」をつなげて覚えることがポイントです。
歴史の重要語句や一問一答を活用して、鎌倉幕府の成立から執権政治までの流れを確認しましょう。









